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青木将幸ファシリテーター事務所

2011/6/5

母が亡くなりました

 

 

2011年5月29日、かねてより闘病中でした母・青木和美が亡くなりました。享年64才。通夜と葬式をすませ、ようやく東京に戻ったところです。

厳しく、気骨のある、素晴らしい母でした。僕が母から学んだことを、書き残しておきたいと思います。母から学んだことを実践してゆくことが、いくらかの供養となればという気持ちです。

 

「信念を持って生きなさい」

この言葉は、僕が小学生のころによく聞きました。なかなか含蓄のある言葉です。自分の信じるところ、自分が正しいと思えることを大切にせよ、という意味だと思います。高校入試の時に面接で「あなたが人生において大切にしていることは何ですか?」という設問があって「信念を持って生きることです」と答えたことを覚えている。(かつ、そのあと、面接官の先生が、「では、どのような信念をもって生きていますか?」と質問し、うまく答えられずに赤面したことも覚えている)。今の自分は、どのような信念を持ち得ているだろう か? 今もって、深い問いとなっています。

 

「着るものにお金をかけなくてもいいから、食べるものを大切にせよ」

生活における具体的な指針となる言葉。実際に、僕は、着るものにお金をかけなくなった。高校生のころに着ていたものを、今も大事にしていたりもする。ヘンリー・D・ソローも言っている「私はつくろいものをしている服を着ている人を、軽く見たりはしません」と。食べるものは、それなりに大切にしている。外食はほとんどしないし、インスタント食品やレトルトの類もほとんど食べない。自分で出汁をとって味噌汁を作り、土鍋で米を炊いて、旬の野菜を食べてゆければ、それがいい。

 

「その時にしかできないことを、しっかりとやれ」

昨年、娘の天音と二人でクリスマスに帰省した時のこと。母の一時退院を手伝った帰り道に、近くのスーパーに寄るように言われた。その日の夕食は、母が退院直後であまり食べられないこともあるし、時間もせまっているので、簡単なものですませようよと提案したのだが、母は、「クリスマスの時らしい食事を、きちんと天音にしてあげなさい。トリの骨付き肉を買って、しっかりとパーティー風にするのです」と言ってきかない。混み合うスーパーで、なんとか買い物をすませて、天音が夕飯を楽しんだあとに、この言葉を言ってくれた。人生のなかで、その時にしかできないことというのが、必ずある。思えば、母との最後のクリスマスであった。

 

「お金を人に貸すときは、あげたと思え」

これも明確な指針となる言葉。実際、僕はいろいろな人にお金を貸すこともある。困っている友人にはよろこんで貸したい気持ちもある。そんな時に、必ず思い出すのがこの言葉だ。あげるつもりで貸す。あげてもいい金額だけを、貸す。身の程を知り、お金のことで友人を失うようなことがあってはいけないという意味もある教え。

 

「何でも体験してみないとわからない。子どもが「やりたい」と言った時に、なるべくやらせてあげよ」

僕が中学生のころに、京都にある寂光院というお寺に一人旅をしたいと言い始めた時も、遺伝子学者のリチャード・ドーキンス博士が来日して、その講演を東京まで聞きに行きたいと言った時も、母はよろこんでやらせてくれた。熊野川の支流でカヌー教室に行きたいと言った時も、地元のビジネスマンたちに混じってパソコン教室に通いたいと言った時も、そうだ。思えば13才の一人旅なんてのは、なかなか怖くて出せるものではない。当時は高額だったパソコン教室にしてもそうだ。(まだ、ウィンドウズが出て来る前で、MS-DOSを習得した記憶がある)。それが身になるかどうかの確証はない。しかし、それらの体験があったからこそ、自分は、自分なりの階段を歩めているような気がする。親がしてやれることは、子どもが体験できる土俵をつくることなんだ。肝に銘じたい。

 

他にもいくつもあるのですが、まずは心に浮かんだこの5つを書いてみました。振り返ると、やはり偉大な母親です。母の教えを大切に、日々を大事に生きて行こうと思います。

●お詫び
かような都合で、5月30日に開催予定だった主催講座の開催ができませんでした。(29日に開催した企画は、もう一人のファシリテーター、池澤良子さんにお願いしました。ありがとう。)申し込んで下さった皆様、申し訳ありません。また、ここ1週間ほど、連絡がつきにくかったり、返信が遅くなった方もいるかと思います。どうか、お許し下さい。


昨日より、妻の京ちゃんが二度目の入院から退院してきたこともあり、来週より、ぼちぼちと日常業務を復活させてゆく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。